ジオパーク: 2010年3月アーカイブ

下仁田層は大北野の集落付近から下仁田市街地を通り、河川敷のグラウンドがある岩山まで見られる地層で、恐竜が絶滅した後に堆積したものです。

恐竜が絶滅したのは今から6500万年前、下仁田層が堆積したのは今から2000万年前です。
この間、4500万年ありますが、この間も神農原礫岩や骨立山凝灰岩等が形成されるなど、下仁田町では大地の活動が見られます。

下仁田層が堆積したのは新生代第三紀と言われ、哺乳類や被子植物が繁栄し、アルプスやヒマラヤ等の大山脈ができあがった時代です。
下仁田層からは、貝やサメの歯の化石等が発見されていますが、貝類化石には北方のやや冷たい沖合いに住んでいた種類が見られます。

なお、下仁田層は中央構造線と接し、その北側に分布しているのですが、南側には見られません。不思議ですね。

ジオパーク 跡倉層

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跡倉層はクリッペ(根無し山)を作っている地層として有名です。

この地層は四ツ又山周辺から大北野、跡倉、御岳、大山等にかけて見られます。
今から約8000万年前に礫や砂、泥などが堆積してできました。
この地層からアンモナイトや二枚貝の化石が見つかっているので、堆積したのは海であることがわかるのですが、果たしてそれが現在のどの地域にあたるのか、未だわかっていません。

また、跡倉層が堆積したのは、中生代白亜紀という時代です。
白亜紀は恐竜やアンモナイトが絶滅した時代なのですが、白亜紀は1億4600万年前~6500万年前で、8000万年もの幅があります。
実際にそれらが絶滅したのは約6500万年前とされていますので(原因は隕石説が有力ですが)、跡倉層はそれより約1500万年古い時代となります。

なお、南牧川が青倉川に合流するところにある長源寺橋上流は、この地層を見学する名所となっています。

下仁田町では古い地層から新しい地層まで見られるのが、魅力となっています。
即ち、恐竜が姿を現す以前の地層から、現代に至るまでの地層が分布しているのです。
一つの町でこれだけの時代の長さに対応する地層が見られるということは、素晴らしいことだと思います。

最も古い地層は稲含山や小沢岳から南牧村にかけて分布するもので、秩父中古生層と言われます。石灰岩もこの秩父中古生層に含まれます。
恐竜が誕生する前、今から約3億年前から恐竜のいた時代(約1億5千年前)にかけて堆積した地層です。

その他、下仁田町役場の北側(浅間山の北にある南蛇井層)も恐竜の時代に堆積したものです。
堆積と言うことですので、当時は陸地ではなく、海の底でした。

南蛇井層が堆積した時代は、ジュラ紀と言われます。
(秩父中古生層はジュラ紀から、それよりも古いペルム紀、石炭紀にかけて堆積しました)。
ジュラ紀はヨーロッパでドイツとスイスの間にあるジュラ山脈に由来しますが、
それよりもジュラシックパークの恐竜映画の方が馴染みが深いと思います。
恐竜全盛の時代です。

イチョウ、アンモナイト、始祖鳥などもこの時代に栄えました。

なお、イチョウが出現したのはそれよりも早い、ペルム紀と言われる時代です。
川井山はこの時代のものです。ペルム紀はその他、恐竜の祖先が出現したり、
三葉虫が繁栄したりしましたが、地球の歴史上最大と言われる大量絶滅が起こり、
生物種の90~95%が絶滅したとされています。三葉虫もこの時に絶滅しました。
大量絶滅に至った原因はまだはっきりと解っていないようです。

次回は、ジュラ紀のあとに堆積した地層(跡倉層)についてです。

こんな石もあります。
石は神農原礫岩です。
ずれているので、ずれ石とも言われます。
でも、何でずれたのでしょうかね。
不思議ですね。

P1300009.jpg

一口に石と言っても、そのでき方には色々あります。

・火成岩---マグマを起源とするもの。
・堆積岩---砂や生物の遺体などが堆積したもの。
・変成岩---既成の石が高い圧力や高温のマグマで変質したもの。

このでき方の違いに、更に石の成分の違いが加わり、石の種類が決められます(詳しいことはまた後で)。

下仁田自然学校が作成した「かぶら川の石図鑑」には、鏑川でよく見られる17種類の石が掲載されていますが、思いつく石の名前を数えても、17種類数えるのは大変です。

一つの地域で、これだけの種類の石が見られるところは少ないと言えるでしょう。

南牧川や青倉川、鏑川の河原は緑、赤、灰色、白等の色があり、カラフルです。
利根川等の多くの河原が灰色一色で単調なのと比べても、石の種類の多さがわかると思います。

下仁田町にくれば、色々な石が見られるというのは魅力だと言えるでしょう。

なお、最後に「かぶら川の石図鑑」に出ている石の名前を参考までにあげておきます。

火成岩---安山岩、流紋岩、玄武岩、石英斑岩(せきえいはんがん)、閃緑岩(せんりょくがん)
堆積岩---砂岩(新しい時代)、砂岩(古い時代)、礫岩、泥岩(新しい時代)、泥岩(古い時代)、
     凝灰岩、凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)、輝緑凝灰岩(きりょくぎょうかいがん)、石灰岩、チャート
変成岩---結晶片岩、緑色岩

興味のある人は是非図鑑を見てください。

下仁田町のジオパークをデパートに例えた場合、次のような売り場があります。

1階:岩石と地層(石や地層の種類の多さ)
2階:地質体(日本列島の形成に深く関与した地層の存在)
3階:地形(妙義山、荒船山、クリッペ等の変わった地形)
4階:地質時代(3億年前~現在までの長い歴史)
5階:動く大地
(クリッペ、地層の逆転、断層)

これだけだと、なんだかよくわかりませんので、それぞれの階について、
また見て行きたいと思います。

なお、このような5階建てのデパートは、他の地域ではなかなか建てられない
ことを、徐々に理解していただけると思います。

そして、もしかしたら、今後店舗や階が追加されるかも知れません。

下仁田町は何故ジオパークとしての価値があるのでしょうか。

普段何気なく見ている、と言うか、気にも留めていない石や地層に
どのような意味や価値があるのかについて、考えてみたいと思います。

まず、地質をやっている人であれば、下仁田町の魅力は誰もが認めると言うのですが、
それは地質・地形のデパートだからだと言われます。
即ち、そこに行けば、店のはしごをしなくても品質のよいものが全てそろってしまう
ということです。

それでは、次回はそのデパートにどんな商品があるのか、見てみたいと思います。

何故ジオパークというものができたのでしょうか。
ジオパークに参加するためのガイドラインと基準(2008年6月版)には次のように記載されています。

「地球上の社会,文明,文化の多様性は,その地域の地質や景観の影響を大きく受けてきましたが,最近になるまで,地域的,国内的に重要度の高い大地の遺産の国際的な認定や,大地の遺産に特化した国際保全条約はありませんでした.
ユネスコが主導してジオパークを支援するようになったのは,地球の遺産ともいうべきもの,その景観,地質の成り立ちが生命の歴史を見つめてきた重要な証人であり,その価値を高めるために国際的な枠組みが必要だと,多くの国が表明したことに対応するためです.」とあります。

要するに、地球の歴史や人類の歴史と密接に関わっている大地が、一部の人を除き、今まで余り省みられてこなかったので、もっとその価値を認め、人類共有の財産として、大切にしていこうということだと思います。

そして、2001年6月のユネスコ執行委員会の決定を受け、ユネスコは,地質学的に特別意義のある地域や自然の中の公園を展開"するための努力を加盟国に対し支援する"ことになりました.